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ハヴァマール(高き者の言葉)抜粋

『ハヴァマール(Hávamál, 「高き者の言葉」)』は、『古エッダ』に収められた詩の一つで、オーディン(「高き者」はオーディンの異名の一つ)の口を借りて語られる、処世訓・箴言・魔術の知識をまとめた詩である。全編が単一の作品として構成されたというより、複数の異なる詩的伝承が編纂の過程で1つにまとめられたと考えられている。前の記事「古エッダ入門」で触れた頭韻詩の実例を確認するのに最適な作品でもある。

旅人が他人の家を訪れる際の心得を説く、冒頭の一節である。

Gáttir allar, áðr gangi fram,
um skoðask skyli, um skyggnast skyli,
því at óvíst er at vita,
hvar óvinir sitja á fleti fyrir.

逐語グロス

Gáttir allar áðr gangi fram um skoðask skyli
意味 戸口を すべて 〜する前に 進む(接続法) 前へ 見回すべきである

日本語訳:「すべての戸口は、足を踏み入れる前に、見回さねばならない、じっと窺わねばならない。なぜなら、敵がどこの座に先回りして座っているか、知りようがないのだから。」

  • skyli は動詞 skulu(〜すべきである、義務の助動詞)の接続法現在形。忠告・訓戒の詩に頻出する形である。
  • óvíst er at vita は「知ることは不確かである」という非人称構文で、er(〜である)の主語は形式的に立てられていない。
  • sitja fyrir は「先に座っている、待ち伏せている」という意味の熟語的表現。

『ハヴァマール』の中でも特に広く引用される一節で、財産や生命の儚さと、名声の不滅性とを対比する。

Deyr fé, deyja frændr,
deyr sjalfr it sama,
en orðstírr deyr aldregi
hveim er sér góðan getr.

逐語グロス

Deyr deyja frændr deyr sjalfr it sama
死ぬ 家畜(財産)が 死ぬ 親族が 死ぬ 自分自身も 同じように
en orðstírr deyr aldregi hveim er sér góðan getr
しかし 名声は 死ぬ 決して〜ない 自ら善きものを得た者にとっては

日本語訳:「家畜は死に、親族も死ぬ、自分自身も同じように死ぬ。しかし、みずから善き名声を得た者にとって、その名声は決して死ぬことがない。」

  • deyja(死ぬ)はクラスVIの強変化動詞。deyr は3人称単数現在形。
  • orðstírr(名声、名誉)は orð(言葉)と stírr(輝き)の複合語で、「言葉の輝き」が原義とされる。
  • aldregi(決して〜ない)は否定の副詞で、動詞 deyr を修飾している。
  • hveim er...er は関係節を導く不変化の関係小詞(「〜する〈者〉」の意)で、hveim(誰にとって、与格)と組み合わさって「〜する者にとって」という意味になる。
オーディン

💬 学びのコラム:僕の口を借りた処世訓

オーディン:フレイヤ、『ハヴァマール』の「高き者」って、実は僕のことなんだよ。まるで自分が自分に説教しているみたいで、書いていて(歌っていて)ちょっと照れるな。

フレイヤ:でも第76節の「名声は死なない」って、ヴァイキング時代の価値観がすごくよく出ている一節よね。財産も命も儚いけど、名誉だけは残るという発想。

オーディン:そうなんだ。サガ文学の登場人物たちも、まさにこの考え方に従って生きて死んでいく。『ハヴァマール』を読むと、当時の人々が何を大切にしていたかがよくわかるよ。