ハヴァマール(高き者の言葉)抜粋
『ハヴァマール』とは
Section titled “『ハヴァマール』とは”『ハヴァマール(Hávamál, 「高き者の言葉」)』は、『古エッダ』に収められた詩の一つで、オーディン(「高き者」はオーディンの異名の一つ)の口を借りて語られる、処世訓・箴言・魔術の知識をまとめた詩である。全編が単一の作品として構成されたというより、複数の異なる詩的伝承が編纂の過程で1つにまとめられたと考えられている。前の記事「古エッダ入門」で触れた頭韻詩の実例を確認するのに最適な作品でもある。
第1節:客人としての心得
Section titled “第1節:客人としての心得”旅人が他人の家を訪れる際の心得を説く、冒頭の一節である。
Gáttir allar, áðr gangi fram,um skoðask skyli, um skyggnast skyli,því at óvíst er at vita,hvar óvinir sitja á fleti fyrir.逐語グロス
| 語 | Gáttir | allar | áðr | gangi | fram | um skoðask skyli |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 意味 | 戸口を | すべて | 〜する前に | 進む(接続法) | 前へ | 見回すべきである |
日本語訳:「すべての戸口は、足を踏み入れる前に、見回さねばならない、じっと窺わねばならない。なぜなら、敵がどこの座に先回りして座っているか、知りようがないのだから。」
skyliは動詞 skulu(〜すべきである、義務の助動詞)の接続法現在形。忠告・訓戒の詩に頻出する形である。óvíst er at vitaは「知ることは不確かである」という非人称構文で、er(〜である)の主語は形式的に立てられていない。sitja fyrirは「先に座っている、待ち伏せている」という意味の熟語的表現。
第76節:名声は死なない
Section titled “第76節:名声は死なない”『ハヴァマール』の中でも特に広く引用される一節で、財産や生命の儚さと、名声の不滅性とを対比する。
Deyr fé, deyja frændr,deyr sjalfr it sama,en orðstírr deyr aldregihveim er sér góðan getr.逐語グロス
| Deyr | fé | deyja | frændr | deyr | sjalfr | it sama |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 死ぬ | 家畜(財産)が | 死ぬ | 親族が | 死ぬ | 自分自身も | 同じように |
| en | orðstírr | deyr | aldregi | hveim er sér góðan getr |
|---|---|---|---|---|
| しかし | 名声は | 死ぬ | 決して〜ない | 自ら善きものを得た者にとっては |
日本語訳:「家畜は死に、親族も死ぬ、自分自身も同じように死ぬ。しかし、みずから善き名声を得た者にとって、その名声は決して死ぬことがない。」
deyja(死ぬ)はクラスVIの強変化動詞。deyrは3人称単数現在形。orðstírr(名声、名誉)は orð(言葉)と stírr(輝き)の複合語で、「言葉の輝き」が原義とされる。aldregi(決して〜ない)は否定の副詞で、動詞deyrを修飾している。hveim er...のerは関係節を導く不変化の関係小詞(「〜する〈者〉」の意)で、hveim(誰にとって、与格)と組み合わさって「〜する者にとって」という意味になる。
💬 学びのコラム:僕の口を借りた処世訓
オーディン:フレイヤ、『ハヴァマール』の「高き者」って、実は僕のことなんだよ。まるで自分が自分に説教しているみたいで、書いていて(歌っていて)ちょっと照れるな。
フレイヤ:でも第76節の「名声は死なない」って、ヴァイキング時代の価値観がすごくよく出ている一節よね。財産も命も儚いけど、名誉だけは残るという発想。
オーディン:そうなんだ。サガ文学の登場人物たちも、まさにこの考え方に従って生きて死んでいく。『ハヴァマール』を読むと、当時の人々が何を大切にしていたかがよくわかるよ。