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エヌマ・エリシュ 抜粋

『エヌマ・エリシュ』(Enūma Eliš、「上にあったとき」の意)は、全7書板からなるバビロニアの創造叙事詩で、原初の海水の女神ティアマトと、彼女を打ち破って世界を創造し、神々の王となるマルドゥク神の物語を語る。作品名は、後述する冒頭句からそのまま取られている(アッカド文学では、『ギルガメシュ叙事詩』と同様、冒頭句が題名代わりに用いられることが多い)。

成立年代については議論があるが、多くの研究者は、バビロン王ネブカドネザル1世(前12世紀、エラムに奪われていたマルドゥク神像をバビロンへ奪還したことで知られる)の治世前後、マルドゥク神をバビロンの守護神として神々の頂点に据える政治的・宗教的意図のもとで成立、あるいは既存の伝承がこの時期に大きく編集されたと推定している。現存する写本は、ギルガメシュ叙事詩と同様、多くがニネヴェのアッシュルバニパル王立図書館に由来するほか、アッシリアでは主人公をマルドゥクから自国の主神アッシュルに置き換えた異本も伝わっている。

この叙事詩は単なる文学作品ではなく、バビロンで新年に行われたアキトゥ祭の重要な儀礼文書でもあった。祭りの期間中、祭司はマルドゥク神像の前でこの叙事詩全編を朗誦したと伝えられ、天地創造とマルドゥクの王権確立の物語を繰り返し語ることで、世界の秩序とバビロンの王権の正統性を年ごとに更新・確認する役割を果たしていたと考えられている。

冒頭句「天がまだ名付けられていなかったとき」

Section titled “冒頭句「天がまだ名付けられていなかったとき」”

第1書板の冒頭は、天地がまだ「名」――すなわち存在としての姿――を持たなかった原初の状態を描く、次の一句で始まる。

𒂊𒉡𒈠 𒂊𒇺 𒆷 𒈾𒁍𒌑 𒊭𒈠𒈬

e-nu-ma e-liš la na-bu-u2 ša-ma-mu
エ・ヌ・マ エ・リシュ ラ ナ・ブ・ウー シャ・マ・ム
〜のとき 上に 〜ない 名付けられた 天(複数・主格)
「上に天がまだ名付けられていなかったとき」
翻字 楔形文字 カタカナ読み 形態素分析 意味
e-nu-ma 𒂊𒉡𒈠 エ・ヌ・マ enu「〜のとき」(inūma の異形)+ -ma 〜のとき
e-liš 𒂊𒇺 エ・リシュ el-「上」+ -iš(副詞的語尾) 上に、上方に
la 𒆷 ラ 否定小辞 〜ない
na-bu-u₂ 𒈾𒁍𒌑 ナ・ブ・ウー nabû「名付ける」の動詞的形容詞(受動分詞的用法) 名付けられた(もの)
ša-ma-mu 𒊭𒈠𒈬 シャ・マ・ム šamû「天」の複数主格形 šamāmū 天々が、天が
  • enūma と inūma:どちらも「〜のとき」を意味する従属節標識で、ハンムラビ法典 序文で見た inūma の異形(母音の違いによる書記・方言上のバリエーション)である。
  • 副詞的語尾 -iš:eliš「上に」は、方向・様態を表す副詞的な格語尾 -iš を伴う形で、名詞・形容詞の語幹に付いて「〜のように」「〜へ向かって」といった意味の副詞を作る。
  • 動詞的形容詞 nabû:動詞 nabû「名付ける、呼ぶ」の語根は末尾が弱い(第3子音が半母音)ため、活用や派生形が不規則になりやすい。ここでは受動的な意味を持つ動詞的形容詞(分詞に近い働きをする形)として使われ、否定小辞 la を伴って「名付けられていない」という意味を作っている。
  • 複数主格 šamāmū:šamû「天」は複数形でしばしば用いられる名詞で、主格複数語尾 -ū を取って šamāmū となる。文全体の主語であり、動詞(この行には現れないが、後続する nabât erṣetum「地もまだ名付けられていなかった」との対句を成す)と呼応する。
イシュタル

💬 学びのコラム:新年に読み直される「はじまりの物語」

イシュタル:シャマシュ、『エヌマ・エリシュ』って、ただの読み物じゃなくて、毎年のアキトゥ祭でマルドゥク神像の前で実際に朗読されてたのよ。

シャマシュ:へえ、じゃあバビロンの人たちは、毎年新年になると「世界がまだ何も名付けられていなかったとき」の物語を、また最初から聞き直してたってこと?

イシュタル:そう。世界の始まりとマルドゥクの王権確立を繰り返し語ることで、「今年もまた秩序が更新される」という感覚を人々に与えていたんじゃないかしら。

シャマシュ:アッシリアでは主人公がマルドゥクからアッシュルに入れ替わった版まであるっていうのも面白いね。物語の「主役」を自分たちの神に差し替えてしまうなんて、なかなか大胆だ。

📝 理解度チェック

Q1. 『エヌマ・エリシュ』は何を語る叙事詩か。

✅ 正解です!

❌ 不正解です。正解は B「ティアマトを打ち破ったマルドゥク神による世界創造の物語」。

解説:「原初の海水の女神ティアマトと、彼女を打ち破って世界を創造し、神々の王となるマルドゥク神の物語を語る」とある。

Q2. 『エヌマ・エリシュ』が朗誦された祭りは何か。

✅ 正解です!

❌ 不正解です。正解は A「アキトゥ祭(新年祭)」。

解説:「祭りの期間中、祭司はマルドゥク神像の前でこの叙事詩全編を朗誦したと伝えられ」とあり、この祭りはアキトゥ祭として紹介されている。

Q3. 冒頭句における `la` の働きは何か。

✅ 正解です!

❌ 不正解です。正解は B「否定小辞『〜ない』」。

解説:語ごとの分析表で `la` は「否定小辞」とされている。

Q4. `eliš` の `-iš` はどのような語尾か。

✅ 正解です!

❌ 不正解です。正解は B「方向・様態を表す副詞的語尾」。

解説:「副詞的語尾 `-iš`:……方向・様態を表す副詞的な格語尾」とある。

Q5. アッシリアで伝わる異本について本文が述べていることはどれか。

✅ 正解です!

❌ 不正解です。正解は B「主人公がマルドゥクからアッシリアの主神アッシュルに置き換えられている」。

解説:「アッシリアでは主人公をマルドゥクから自国の主神アッシュルに置き換えた異本も伝わっている」とある。